【ワンピース1167話ちょい見せ考察】物語は完全に別の舞台へ…ゴッドバレー編の終わりに感じる“取り残された寂しさ”
ワンピース1167話のちょい見せが公開され、
はっきりとわかったことがひとつあります。
――もう、完全に物語が“ゴッドバレー”から離れてしまった。
1150話台から続いてきた壮絶な回想、
歴史の闇を抉るような戦い、
ロックスやロジャー、ガープがぶつかり合った“伝説の事件”。
そのすべてが、1166話で終わり、
1167話では 完全に違う場面、違う“今”へと舞台が切り替わってしまったのです。
この切り替わりは、興奮と同じくらい、
いや、それ以上に 大きな寂しさ を読者に残します。
目次
長かったゴッドバレー編が終わった“余韻の静けさ”
これまでの数話は、ずっと嵐の中にいるような感覚でした。
- ロジャーとガープの共闘
- ロックスの異様な存在感
- 天竜人と奴隷たちの地獄
- バッキンや白ひげ、シャンクス誕生など大量の伏線
- 世界がひっくり返るほどの歴史的瞬間
読者はずっと、
「次は何が起きるのか」
「この戦いの結末はどうなるのか」
「ロックスの真相は?」
そうやって、先のページをかじりつくように読んできました。
しかし1167話のちょい見せでは、
その激動が嘘のように、物語は平然と別の場所を描き始める。
まるで漫画の中で“時代の扉”がバタンと閉じたような感覚。
この落差に、どうしようもない喪失感が押し寄せてきます。
◆
あれほど巨大だったロックスが、突然“いない世界”に置き去りにされた感覚
ゴッドバレー編の主役ともいえる ロックス・D・ジーベック。
彼の野望、狂気、威圧、Dの名の重さ――
そのすべてが物語に巨大な影を落としていました。
しかし1167話。
その“ロックスの影”が完全に消えている。
読者としては、
“え、もうロックスの時代終わっちゃったの…?”
“あれだけ世界を揺らした怪物が消えると、こんなにも静かになるのか…”
そういう、心にぽっかり穴が空いたような感覚に襲われます。
いくら歴史の回想とはいえ、
ロックスの終わりをこんな形で見ると、
まるで遠くの戦場を夢のように置き去りにされた気持ちになるのです。
“もっと見たかった”という欲求と、物語が動く喜びのジレンマ
正直、読者の多くがこう思っているはず。
- ロックスの最期をもっと詳しく見たかった
- バッキンとロックスの関係は結局?
- シャンクスを拾うシーンを直接描いてほしかった
- 白ひげ・リンリン・カイドウの脱出描写ももっとほしい
- ゴッドバレーの“その後の世界政府”も知りたかった
しかし尾田先生は、あえて描かない。
“描かない余白”があるからこそ、歴史は深くなる。
そして1167話は、その余白を残したまま、
物語が強制的に次の未来へと進む回なのです。
この“置いていかれる感じ”こそ、寂しさの正体。
◆
場面転換が教えるのは「時代はもう動き出した」ということ
1167話の切り替わりは、読者へ無言でこう語っているようです。
「ロックスの時代は終わった。
ここからはロジャーとガープの時代、
そして未来へとつながる“本編”の世界が動き出す。」
実際、ゴッドバレー事件は“歴史の終点”であると同時に、
- シャンクスの誕生
- ガープが英雄になる
- ロジャーがラフテルへ向かう
- 白ひげたちが独立する
- 五老星の焦り
- 世界政府に生まれる新たな恐怖
など、本編への導線がすべてここで整ったとも言えます。
だからこそ尾田先生は、
迷いなく1167話で場面を切り替えたのでしょう。
ただ――読者の心はすぐに追いつけない。
“あの地獄の戦場が終わったんだな……”
と、ようやく噛みしめ始めている頃なのに、
物語は次のステージへ走り出してしまうから。
◆
まとめ:1167話は「時代の喪失」を感じる回
1167話ちょい見せは、
ただの場面転換ではありません。
これは、
「ひとつの時代が終わり、
その余韻だけが静かに残された瞬間」
を読者に突きつける回です。
- ロックスという化け物の影が消え
- ゴッドバレーという歴史が閉じ
- 物語は“今の時代”へ帰っていく
その切り替わりは爽快でもあり、
しかし同時にどうしようもなく 寂しい。
まるで長い映画を見終わった後、
暗い劇場に一人だけ取り残されたような気分。
ワンピースは、こういう“余韻のある終わり”を描くのが本当にうまい。
1167話の本編公開が楽しみであると同時に、
“ああ、本当にゴッドバレーが終わったんだな…”
としみじみ感じてしまう。
そんな一話になりそうです。


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